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ブログ | 【逗子の整体】腰痛専門!逗子新宿二丁目整体院 | 整体 逗子 腰痛 ブログ

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  • 2020.8.9

                    は~い(^O^)/皆さんこんにちは! 今日も逗子の Near the beach…新宿からお届けしています。

                   日本中がお盆休みモードみたいな週に突入しましたが、まだまだコロナ禍なのでみなさん慎重に動いていらっしゃいますね。

    そんな中、今年は「海の家」も出店していない逗子海岸なんだけど…結構な人数のお客さんがBeachに海水浴にいらしてますよ。みなさんそれぞれがソーシャルディスタンスを守っていて、しかも海だから風が吹いていて密閉感も無いし。これくらいは楽しんでもいいんじゃないのって感じ。節度を持って行動すれば☺ 

     

    さて今日はその逗子海岸で1年中、毎朝行われている「ラジオ体操」を紹介したいと思います。

    逗子海岸の朝は早くて、早朝からお散歩や🏃running、Beachヨガなんかを自由に楽しんでいます。

    そんな中、6時30分になると一斉にラジオ体操が始まります。そう「NHKラジオ体操」です。

    僕は昔から、朝起きると外を走り出す習慣があります。逗子に引越してきた6年前の朝もそんな感じでBeachを走っていたんですね。そしたらいつの間にか浜にいた20~30人くらいの人が中央に集まってきてラジオ体操の音楽に合わせて体操やってるじゃないですか。

     

    僕も(元体操選手なので)得意な分野です。皆さんと一緒になってやってみました。 そしたらメッチャ気持ちいいんですよこれが(‘◇’)  海に向かって身体をめいっぱい動かす。伸ばす。ジャンプする。みなさん想像してみるとその光景が目に浮かびますよね。 あ、この写真がそのoneーshotなんですが、実際はもっともっとmovieで超気持ちいーって感じです。

    一発でその魅力に取りつかれた僕はその次の日もまた次の日も…と、それ以来殆ど毎日🏃&体操やっています。これも住宅🏠のすぐ近くに海があるという逗子の魅力のひとつなんじゃないかなあって思っています。

    僕は最初の日だけは皆さんと同じようにBeachの後ろの方で体操やっていましたが、なんか海に近い波打ち際の方が「目の前に海」みたいな感覚が楽しくてそこが僕の定位置に、いつの間にかなっています☺

    それがもう6年間続いていて、僕はいつの間にか「逗子海岸ラジオ体操」のセンターの役割を担ってる🤣みたいな。海でのラジオ体操自体は40年くらい続いているらしんだけどね。

    そんな感じで自らセンターを張って出しゃばるからには、やっぱりちゃんとした動きときれいな体操をしなくっちゃと、自分で心掛けているんですよね。それが功を奏して、僕自身にとってもすごくいい意味で心地よいプレッシャーです。みんなが後ろで模範にしてくれている。見られている感覚が自分を成長させる。いい仕事をする…に繋がっているような気がします。

    ラジオ体操というと、なんだか小学校の準備運動かお年寄りが集まってやる軽い運動みたいなイメージがありますよね。ところがどっこい、そうでもないんですよ😊

    ラジオ体操を一生懸命やると結構ハードな運動になります。その昔、運動の専門家の方々が「身体活動に必要な動きをまんべんなく網羅した体操」として作られた体操でしょうから、そりゃあ効きますよ、身体中のストレッチ&エクササイズとしてバッチリな運動ですねこれは。

    6年前は20~30人程度の人数だったラジオ体操ですが、最近は晴れた日は100名越えの日が当たり前みたいになっています。僕はラジオ体操を、早朝から「頑張ってやる」んじゃなくて「楽しんでやる」そんな軽スポーツとして広がって欲しいと思っています。そのムードメーカーに僕はなっている気がしています。

    朝、海岸で出会って、みんな笑顔で挨拶します。心が触れ合えます。若いご夫婦とかも増えてきました。逗子海岸の朝の笑顔の集いがそこにあります。凄く素敵なひと時を一日の始まりのこの数十分で味わえる…そんな魅力的な「逗子海岸ラジオ体操」です。

    どうぞこれを読んでくださっている逗子在住の方! 一緒に体操やりませんか? 面倒くさい組織ではないし、縛りはなに一つありません。参加したいと思ったときに参加すればそれだけで気分爽快。その日が快調にスタートできますよ。

     

    整体だけでなく、僕自身が「健康」というメッセージで地域に貢献できている喜びを感じています。自己満足だと思っていますが、それでいいんです。自己満足で☺

     

    今日はこんな感じで「逗子海岸ラジオ体操」を紹介させていただきました。最後まで読んでいただいて有難うございましたm(__)m

     

     

  • 2020.7.30

     

    5/7のブログで、僕の二十歳過ぎたくらいまでの人生を綴りました。その後どうなったのか「続きが読みたい」のリクエストに応えて。ここに僕の人生part2を綴ってみます。ここまでの話がわからない方は5/7のブログを読んでいただければちょっと面白いかもです。

     

    オリンピックの夢を叶えることが出来なかった僕は、これから先どう生きていこうか悩んだ末に教師の道を選びました。教員免許は幼稚園・小学校・中学校・高校までの資格を全て取得していたので、「ほんじゃあ教師でもやってみっか~」くらいの気持ちで就いた初めての仕事でした。

    24歳の時に鹿児島県の教員採用試験に受かって、初任地として勤務したのが、垂水市立水之上小学校でした。垂水市は鹿児島県の大隅半島の桜島側に位置した漁業&農業中心の小さな市で、その市の郊外に水之上小学校はありました。全校児童100名ほどの小規模校でした。

     

    赴任したての僕は、何もかもが新鮮に感じました。何よりも子供たちがめちゃ純粋だったし、保護者の方々や地域の住民の方々も皆さんが温かくて。

    僕ら教師を「水之上小学校(地域の学校)の先生」として本当に心底信頼して見守って協力してくれました。飲み会にはしょっちゅう呼び出されて…当時焼酎大好き
    だった僕は、よく保護者の家に呼ばれて焼酎をゴチになっていましたね(;^ω^)

    お陰様で、僕は調子に乗って若さと体力を持ち味に子供達を引っ張っていった記憶があります。学習、校内行事は勿論、校区の行事や保護者との交流にも積極的に参加して初任校勤務既定の3年間は充実して過ぎていきました。その当時の学校でのエピソードには面白いものが山ほどありますが、ここで書くには長くなりすぎるので、またの機会にということでカットですm(_ _)m

     

    教師として働き始めたばかりの僕は、迷いながらも先輩先生に学びつつ試行錯誤して3年目にはそこそこ大きな県レベルの研究授業も任せてもらったり、主任等の役職も学校内外で経験しました。

     

    その水之上小2年目の秋のこと…鹿児島市で開催された鹿児島県体操秋季選手権という大会で、僕が担任していた当時4年生の子供たちが、小学校の部で団体総合優勝と個人総合優勝してしまったから…その時は学校を上げて地域を上げてもの凄く喜んでいただきました。で、僕自身もまだ体操の国体選手でもあったので同選手権に出場して「成年の部」で個人総合優勝しちゃいました。師弟優勝です。子供達は自信をつけて「将来は体操選手になりたい」などの夢を語り始めたのでした。

    が、しかし盛り上がるのはいいんだけど…公立学校の教員は転勤族なんですよ。鹿児島県では初任地3年経ったら県内の別地区に異動するのが通例でした。

    だから僕は「異動したらまた何もかもが0からやり直しなんだ」とちょっと複雑な気持ちでした。

    課外のボランティア活動として子供達に体操を教えるのはいいんだけど、それって何のため? その子達の将来まで体操選手として面倒みれるの? 等々…

    僕の中に葛藤が生まれ始めてきていました。本職は教師なんだ。教科と学校生活を共に学ぶ教師なんだと自分に言い聞かせながらも、何か自分の進む方向が

    明確にならないまま、時が流れていきました。

     

    そして3年目の春、ついに異動の発表です。 職員室で校長先生が発表した通達に職員室が騒めいたのは…僕の異動先を告げられたときでした。どこ?

    「垂水小学校」です。垂水市の中心校です。県内で1件の特例の辞令でびっくらこきましたよ。まったく(。´・ω・)?

    僕は奄美大島あたりに転勤して島の子供たちに夢を与えるのもいいかなという思いがあって離島に希望を出していたので、この異動は複雑な気持ちでした。

    まあでも「この垂水に必要」とされたわけだから光栄な話じゃんみたいに前向きに捉えて…この異動を機に、垂水小学校では、更に一段とパワーアップした

    超ハッスル教師に成長したのでした。

     

    垂水小学校に着任して子供たちと初めて対面する「新任式」という行事がありますよね。全校児童900名ほどの大規模校です。その子供たちを前に新任の先生達が

    横一列にずらっと並びます。校長先生が一人ひとり紹介してくれて、僕の番が来ました。

    朝礼台に上がった僕は一通り挨拶を終えて、最後に「今から僕がこの朝礼台の上から宙返りをして降りるからみんなよく見ててください。一回しかやらないからね。」と言って…背広スーツにネクタイのまんまピョ~ンって宙返りをして、着地までピタリと止めたんです。

     

    そのシーン、どうなったと思いますか? 一瞬の間をおいて、大歓声が沸き起こりました。 全校児童さん達が👀を丸くして超おったまげていました。 おそらく先生方の中には気分の悪い先生もいたと思います。「こいつ生意気なやっちゃ。ええ格好しやがって」みたいな。

     

    僕は子供たちに夢と希望を与える教育を目指していました。垂水小学校では最初から6年1組を担任したので、学校では全校を引っ張る馬車馬のごとく突っ張しっていました。当時は、ちょうど水谷豊主演の「熱中時代」や田原俊彦主演の「教師びんびん物語」がTVで放送されていて、よく似ているなどと言われようものなら、「僕は徳永龍之介とは全然違う…重光裕行なんだ」と自分らしさをめいっぱい主張していました。ちょっといい気な(生意気な)教師でした。今思えば。今の僕が当時の僕みたいな教師をみたら張り倒したいですよ。まったく生意気で。 でも誰にも止められないほどパワー全開だったからしょうがないんです(。´・ω・)? 

    他の先生方には内緒だったんだけど…夜の街中で、地元のヤクザの若い衆と危うく絡みそうになった場面が2回ほどありました。喧嘩には自信があったので、たぶん呼び込むような何かが僕にあったのかも知れません? 1回目は小野田剛君のお父さんに、2回目は内田美和さんのお父さんが間に入ってくれて危機一髪で難を逃れました。あとで考えたらヤバい話です💦

     


    それでも子供達は良くも悪くも僕と付き合って、僕についてきてくれたので、僕はとっても幸せな4年間をこの垂水小学校で過ごすことが出来ました。卒業式なんかは何度やっても涙・涙です。子供達の宿題や日揮は毎日目を通していたし、子供達と過ごした良き日の思い出は今でもいっぱいいっぱい僕の中に残っています。 

    その頃の子供達とは30年以上経った今でも交流が続いているし、たまにここ逗子を訪ねてきてくれる教え子もいるんです。超幸せだよね♥ 有難う!

     

    そんな超ハッスル教師だった僕が、垂水小に赴任して4年目の秋…突然、「心身症」みたいな心の疾患?に陥ったのです。本気で「死にたい」と思ったのは、この時が人生初でした。もしその時、精神科医を受診していたら「うつ病」とか診断されていたかも知れません。

    その頃の僕は、若いながらも校内や地区内で重要な役職をいくつか与えられていて、担任も6年生でしたし研究授業も県レベルのものをいくつもこなす超過密スケジュールの毎日でした。その上で、放課後には自ら立ち上げた体操部も指導していましたし。体操の県大会では4年連続優勝しました。結婚して子供も2人産まれていて、家族も大事、仕事は超ハード。身体と心が自分自身のキャパを超えて悲鳴をあげたんですね。 …パンクしちゃいました。

    僕は身体に異常を覚えるものの、そんな状況でも仕事は休まずに大きな学校行事等もなんとか無難にこなしていきました。精神科医に診てもらうのは躊躇っていて、東京で内科医を開業していた姉相談して…結果「学校を退職して神奈川に家族ごと移住して女房の実家の幼稚園経営を手伝う」という結論に達したのでした。

    「辞める」決断をしてからは、少しずつ気持ちが楽になってきました。 その頃僕は子供達には、毎日のように「ごめんね。先生がどうしょうもなくて」みたいな弱音ばっかり吐いていたように記憶しています。鬱っぽいと人は自分を蔑むんですね。そんな感じでした。 強がっていたけどホントは弱い人間だったんだとつくづく思いました。

    退職した春…4月には次の職場となる神奈川県の二宮郁美幼稚園に勤務しています。3月までの激務から逃れて、新たな気分で新天地でスタートを切った僕は、またも大きな仕事をこの二宮育美幼稚園で築いていきました。 ここからのストーリーも超面白いんですが…長くなったので、ここで一旦打ち切りますねm(_ _)m 

    逗子で「整体」をやっている今、当院は教職のクライエントさん達も多いので、学校現場の話とかもよく出ます。今の僕は人生経験も豊富になって傍から今の先生達に助言みたいなことを話したりもします。学校現場は今も昔もそう大きな変革はなさそうですが、子供達のために皆さん一生懸命頑張ってくださっている先生方に感謝ですm(_ _)m 僕みたいに負けないで頑張って欲しいと願っています。

    さてこの続き「幼稚園経営」~「整体師」までを書けるかどうかわかりませんが、とりあえずここまでの長文を読んでくださったことに感謝いたします。有難うございましたm(_ _)m

     

    *このブログの続きは、10/22のブログ「僕の人生part3」で公開してあります。

     

    写真は体操選手権優勝の記事と、子供達と夏の早朝にクワガタを採りに行った帰りの記念撮影です。

     

  • 2020.7.18

    (^O^)/こんにちは。今年の梅雨はとても長いですね。

    今日も逗子は朝から雨が降ったりやんだり…踏んだり蹴ったり???…でもないか🤣

    皆さんの地域は如何でしょうか? 暑いですか? 涼しいですか? 湿気多いかな? 逗子す逗子い🤣

     

    さて…昨日7/17は僕の63歳の誕生日でした(^^♪ 

    先週のブログにアップした旧友・小谷淳子に負けてはならぬ的な💦ライバル心がふつふつと沸いてきて…このタイミングで、

    「よっしゃ俺も」とばかりに昔の床運動の一コマを再現しようと試みてみました。

    (下に動画を張り付けたのでクリックしてみてください!)

     

    結果、ご覧のあり様で、皆さんにお見せできるようなしろものでもなかったのを敢えて載せるのをお許しくださいm(_ _)m

    なんせ、股関節、肩関節、手首…全部硬くなってしまっていて。 だから倒立の静止がめちゃ困難😝 

    やっぱ老いを認めるしかないか(;^_^A💦 

     

    これくらいは…「出来るはず。出来るつもり。あれっ?」「マジ? 上がらない。重い~( `ー´)ノ」

    って、こんな感じでした。

     

    昨日は、教え子の桃子の旦那さん(将英君)がたまたま来院してくれていたのでこの動画撮ってもらったんだけど。

    失敗しながら何度も動画を撮ってもらって…体力の衰えをひしひしと感じた63歳のBirthdayでした(^^♪

     

    それでも、昨日Facebookにこの動画を投稿したところ、えっ? 凄い! マジ? 63歳とは思えない 若っ! 

    身体柔らかい~等々嬉しいお褒めの言葉をたくさんちょうだいしたので、ちょっと嬉しかったりほっとしたり。

     

    こうやって、Facebookやブログに自分の言動やパフォーマンスを投稿するっていうことは、当然他人様の評価(批判も含めて)

    を覚悟して乗っけるわけで。それは僕としては、「自分を知る」ための一つの指標にもなるし、「自己満足」も得られるから。

     

    だから、自分では「イマイチだけど」をさらけ出して、それを他の人が「うわっ!すげ~」とか評価してくれると、それがまた一つの自信

    になって一つひとつ積み重なっていくんですよね。

     

    今回の挑戦は、「若い体操選手だったらこれくらいは普通でしょ」みたいなパフォーマンスを63歳の整体のおっさんがやってのけているところに

    皆さんが拍手してくれました🤣 自己満足…いんじゃない? 人生ってほぼほぼ自己満足だと思うから(^^♪ チャンチャン!

     

    そんな僕のブログに今日も最後までお付き合いいただいて誠ちゃんに有難うございましたm(_ _)m

     

     

     

  • 2020.7.16

    4日前

    見て見て👀😍 この写真、62歳のおばちゃんの倒立だよ~ん。素晴らしいでしょ(^_-)-☆

    今年はしっかりと☂降ってくれた梅雨も、もうそろそろ終盤を迎えてくれるはずなんだけど。

    皆さんの地域はお天気如何でしょうか?

    今日のブログも僕の最近のFacebook投稿からピックアップしました。

     

    こちらの女性…実は僕と同期で62歳。今から約40年前、鹿児島で体操やってた中学生の頃、この彼女(旧姓小谷淳子)と僕は鹿児島県の個人総合一位同士で、よく遠征試合とか一緒にいった仲です。学校は違ったんだけど☺

    彼女とは、僕が逗子に引越してくる前に住んでいた都内の荒川区で40年ぶりにばったり再会して以来、また(友達付き合い)復活しています。

    東京都の外出規制が緩和されて…先週の日曜日7/12、彼女は、彼女のお姉さんとそのお孫さんも一緒に連れて逗子に海遊び&整体に遥々🚙でやってきてくれました。このお姉さん(向かって右)も高校生の頃はバドミントンの鹿児島県チャンピオンでした🥰 今でもシニアのバドのクラブチームでバドやってて、肩を痛めたらしくて、僕の治療を受けにやってきました。

                                                                

         

                                                                              

    お姉さんの肩の治療は今日で3回目なんだけど、かなりいい状態まで改善されています。あとは1~2ヵ月に一回程度のメンテナンスしましょう! 淳子さんの方は、身体はすごく健康体で僕と同じみたい。開脚のストレッ

    チや倒立もご覧の通り見事にこなしてくれます。

     大好きな吉田拓郎の歌に「旧友再会フォーエバーヤング」っていうのがあるけど、やっぱいいですね。青春時代を共に競技した旧友と、数十年後にまたこうして逢って、今を語り合える。持っているものを提供しあえるって最高です。しかも鹿児島から遠く離れたこの関東で。

    僕は今、singleの生活を送っているけど、寂しさを感じないくらい逗子の地域のお友達がたくさんできました。 そして時々こうして同級生とか教え子とか娘とか兄弟とかが逗子に訪れてくれるのが嬉しくて仕方がありません 有難いね💓 嬉しい。鹿児島を思い出しちゃう🥰

     

    彼女が僕に言うのよね…「重光っちゃん! あんたその短パンどうにかしなさいよ~」だってさ🤣 ワオ~(#^.^#)だってこの方が身軽なんだもん( ^^) _U~~

    どうぞ当院の患者さんの皆様におかれましては、夏の期間この短パン・白衣の装いでめいっぱい上等な施術を提供させていただきますので

    何とぞよろしくお願いします(;^_^A💦

    最後まで読んでいただいて有難うございました。

     

     

  • 2020.6.29

     

    は~い(^O^)/皆さんおげんきですか?

    梅雨真っ只中ですが、今日の逗子は晴天の霹靂…じゃなくって💦 霹靂いらんわ~☺ 超気持ちイーテンキ&ノーテンキでもなく、とっても良いお天気でござんす☺

     

    さて今日のお話は、先日、僕個人のFacebookページにも載せた記事なんですが、このお話は当院のクライアントさんや当院にご縁のある方には知っておいて欲しい内容なので、そのまんまコピペしてここに紹介させていただきます。以下、Facebookページでの投稿文です。

     

    この子はマサコさんの形見…当院のマスコットです(^_-)-☆

    当院では、僕が院を離れている時や夜間にでもガラス越しに見えるようにお留守番をしてくれているマスコットがいます。

    この子は…今は亡き😪小西雅子さんが手作りしてプレゼントしてくれたものです。

     

    当院が開業して1年目の秋、雅子さんは当院に初めて首の異常で治療にみえました。それ以来、何かの時には当院に足を運んできてくれていました。 

    ところが、彼女が48歳の時に彼女は乳癌を宣告されました。彼女は主婦でしたが、二人のお子さんの子育てとお父さんの介護を兼ねていて…そんな中でご自身はトリマーの学校に通い、頑張ってその資格を取得して…ついにワンちゃんカットの店をここの近所にオープンさせました。逗子開成中高学園の海側の仕出し屋さんのお向いに。

    彼女とは…重光さんも一人で開業して頑張ってるし、お互いに好きなことで自営業を楽しく頑張っていこうねって、話したりしていました。

    彼女のお店の名前は、ワンちゃんが「尾を振る」をもじって「オーフル」と名付けました。

    そのオーフルには、夜間にも外から見えるようにワンちゃんのぬいぐるみ(彼女の手づくり)に「予約制」って書いて首にかけてありました。それを見つけた僕は「雅子さん、あんなの僕も欲しい」と軽く言ったつもりだったんだけど、雅子さんは、「いいよ私が作ってあげるね」って。

     

     

    そして数日後に持ってきてくれたのがこの子です。

    この子なにに見えますか? ウミガメです。 で、このカメさんの甲羅は僕の📲番号をひもでくっつけて記してくれています。海のそばだからウミガメくんだよね🥰 かわいいでしょ。

     

     


    その後1年も持たず…(涙)雅子さんは天国へ旅立ちました。

    だからこの子は雅子さんの形見なんです。

     

    あなたが当院の前を通った時にこの子を見かけたら、そんな思いで見てあげてください。

     

    雅子さん(人”▽`)ありがとう☆