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2020.9.16
腰痛専門だからあたりまえ…それでもその心は整体のプロとして失格なのかな?
椎間板ヘルニアは治せますか?
…という投げかけには「No」としか答えられないのが私達、整体という代替医療従事者なんです。
「治せます・治ります」と言った時点で法律的にアウトなんです。昨日当院にみえた新患さんは、2年前に腰痛で動けなくなって救急車で病院に搬送され、整形外科では「腰椎椎間板ヘルニア」
と診断された方でした。当時は手術・入院を拒み、保存療法で数週間ほど仕事を休んでなんとかしのいだらしいです。ところが、当然のごとく腰痛は
再発して、今回はちゃんと治したいという一心で当院に来院されました。住所は横須賀市佐島からです。友達から「ここが良さそう」と勧められての来院だそうです。40代・男性 三浦の魚市場で働いておられる方です。腰に負担がかかるお仕事ですよね。
最初の検査では立位からの前屈も後屈も全くダメで、腰が曲がった状態で車から降りて入ってこられました。
問診~検査~施術とやっていきながら、この痛みの原因がヘルニアによる神経圧迫だけではなさそうなことに気づきます。
なのでそのまま骨格の歪みを調整しつつ硬くなった筋肉を緩めて全身の調整が整うと…「あれ?さっきと全然違う先生!ずいぶん楽になりました」と来た時のきつそうな顔が笑顔に。
その後、椎間板ヘルニアの機序(どのような経緯でこの状況に至ったのか説明)と今後の注意点と本人にやってもらいたいストレッチ
についてお伝えして…今後数回通院していただくよう促して終了です。今回のこの事例で伝えたいのは…医師から椎間板ヘルニアだとか脊柱管狭窄症だとかの診断を受けたとしても、それは
あくまでも画像から判断される診断名に過ぎない。痛みの原因が必ずしも「ヘルニア」や「脊柱管狭窄症」によるものとは
限らないという事実です。多くの場合、その本人の生活様式が腰に負担のかかるような体の使い方をし続けた結果、腰痛を引き起こすというケースが
圧倒的に多いのが現状です。 なので、そういう身体の使い方を見直して改めてもらえれば、ここで一旦痛みが治まった腰痛が再発するようなことは避けられるということです。
このように、体の不調や痛みを、病院で治療してもらうか整体でとってもらうかはご本人の自由なので、そこは、どうぞ信じる道を
選択してください。いずれにしてもそのかかった医師や整体師の力量・見立て力・診断力にかかわることは間違いないと考えます。…ここから先は僕のつぶやきです。
今回のこの男性に話を聞いていく中で、彼の家庭環境を聞いてびっくりでした。「僕、single fatherなんです」と言うんですね彼が。
僕は彼の2回目以降の予約を入れるために彼の都合とか聞くわけですよ。そしたら「保育園に朝7時に下の子を預けて、上の二人を両親
の家に送っていってそれから仕事場に直行するんです」てなことを言い出すから「なんでやねん?」「いや~実は1年前に離婚して妻が家を出て行きました」と。
「えっ?こどもいくつなの?」「一番上が幼稚園の年長男児、二番目が同年中男児、一番下が2歳になったばかりの女児」なんだって…。
いやぁ…ここまで聞いただけで、めちゃくちゃ同情しちゃいました。涙は出なかったけど、この青年の「優しそうな顔」に向き合うほどに、
「えっ? なんで? あなたとっても優しそうじゃん。なんでそんな小さな子3人もいるのに? 信じられな~い」って一瞬思いました。思いましたけど…僕自身も15年前に、当時高校生と中学生の娘二人を母親の元に残して離婚した男なので。なんとも言い難い気持ちに
なりました。それでも僕の場合は娘たちにも僕の気持ちを聞いてもらって相談して「お父さんの気持ち解かるよ」って(本心はとても辛かっ
たんだと、今考えると思うけど)そう言ってくれたから。その言葉に助けられるように20年間暮らした元妻と離婚しました。人にはそれぞれいろんな事情と生き方、考え方があるわけで…誰が悪いとか正しいじゃないくて。誰も責めちゃいかんよね。
大切なのは、今、この現状をしっかり受け入れて、その上で自身の生き方で「生きる」ことだと思います。顔晴れ~(*^_^*)
いずれにしても、この男性の腰痛は、その3人の子供たちのためにもなにがなんでも治さにゃならぬ…みたいな☺ そんな気合い入った一日
でした。よく治療家対象の勉強会やセミナーでは「患者に同情・同調しちゃいけない」(心を奪われないように)みたいな話を聞かされたりするので、
僕も極力、そのように努めているんだけど…どうしてもダメですね。ついついその方の背景に寄り添ってしまう自分がいます。だからやっぱ僕は、自分自身の力量を大きくして生きていかないと。こんな風にあの人のこともこの人のことも…っていろんな人生に寄り添って
ると、またパンクしちゃうかもです。教師を辞めた時がそんな感じだったから💦だから僕は、力量・キャパを大きくするために、心と身体をいつも健康に保って、笑って楽しんで一日一日を過ごしていかなくっちゃと…
あらためて思った次第でございます🤣今日は椎間板ヘルニアの話から患者さんへの同情・同調の話に移行しちゃいましたが、最後まで読んでくださって有難うございましたm(_ _)m
#今日の写真は記事とは関係なくて、当院の2階に1カ月ほど滞在中のアルゼンチン大使館職員さんご夫妻・朝のBeachwalkingです。Backは江の島&富士山!
尚、この男性には今回の投稿について許可を頂きました。有難うございますm(_ _)m
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2020.9.12
だから逗子の街が好き(^_-)-☆
は~い(^O^)/みなさんこんにちは❣ 今日も逗子から皆さんが元気になるブログをお届けします😊
僕は、自身の生きるテーマを「健康」とか「幸せ」に設定して…日常生活の全てがそこにもっていくように生きています。
毎日が笑顔で元気な生活って素敵ですよね😊
今日ここで紹介したいのは、逗子在住の77歳の女性・石川ひろ子さんです。
先日、この写真と紹介文をFacebookに投稿したら…たくさんの友達から「すごーい素敵~」とか「一度お会いしてみたい」等々のコメントを多数いただいたので、再度このブログでも紹介してみます。石川さんも読んでね😊
どうですか皆さん、彼女のこのシャキッとしたBeautifulな水着姿💓 これ、別に撮影用にわざわざ用意してもらったわけじゃないんです。僕がBeachで朝ラン🏃していたときに、偶然彼女が海から上がったところに出くわして、「お写真撮らせてもらっていいですか?」「あら恥ずかしいわ」って感じで撮らせていただいた写真です。
彼女は、毎朝波打ち際をウォーキングしています。そして今日みたいに泳いだりすることも。僕らはその姿を毎日見ていて「元気やなぁ!」って感じです。
で、この日は写真撮った後に、少しお話したんです。そしたらその時に、お名前が石川ひろ子さんで、年齢が77歳。4年前に乳癌のステージ4と診断されて、脇のリンパ切除などの大手術~治療されて現在に至る…と、そんな話をしてくれました。その話を聞かなくても石川さんの「元気」にはいつも励まされてきたのに、この「癌と闘いながらの今」の話を聞くと、僕はますます石川さんのファンになってしまいました😊
逗子海岸では、早朝から、ウォーキング・ランニング・サップ・サーフィン・Beachヨガなど、いろんな活動をそれぞれの人が楽しんでいますが、この石川さんも、ご自分のスタイルで彼女なりの「自己実現」していますよね。超素敵です❤
他にも、会社出勤前にひと泳ぎしたり、学校行く前に制服でキス釣りしている中学生もいます。みんなそれぞれ楽しんでいます。
逗子に暮らしていると、海も山もすぐ近くにあって、そこに暮している人たちは皆さん明るく元気で…人情はあるけど、近づき過ぎず遠すぎず、程よい距離感で共存している感覚が素敵です。
だから僕は逗子が大好き。だいすけ・はなこです🤣
最後はやっぱ「この街が好き・この街に住んでよかった」っていう話で終わりましたね。
今日も最後まで読んでいただいて有難うございましたm(__)m
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2020.9.6
開院6周年の夏の終わりに(^_-)-☆
逗子新宿二丁目整体院は、この夏で開院6年目を迎えています。ひとえに地域の皆さんと、これまで支えてくださった先生方・先輩方や家族・友達・教え子さん達のご支援の賜物、お陰様です。心から深く感謝申し上げますm(_ _)m写真は、今朝一番の常連患者さん・渡邊さんに撮っていただいたものですが、ご挨拶用のつもりじゃなかったので、こんなポーズで失礼しています(_ _) すみません悪しからず。当院はようやく自分でも安心できる程度まで経営が安定してきています。コロナ渦においても5月のひと月を除いて新規のお客様&リピーターのお客様共に僕のキャパを十二分に満たしてれる数の患者さんが来院してくださっています。ということは、僕の「整体」の価値を皆さんが程よく(高く)評価してくださっているものと自分では認識しています。このことは、僕自身の仕事に対するモチベーションの向上にとても良い効果があるような気がしています。何より仕事がとっても楽しいんです。それぞれの悩みや要求にマッチした整体を効果的に提供できていると思います。僕自身のenergyがアップすると治療効果もアップします。院内は笑顔が満ち溢れていますたまに僕の昭和おやじギャグが出て室温を下げたりします
僕の人生は、いつも「出たとこ勝負」みたいな感じで、新たな挑戦の連続でした。僕自身はあまりそう思ってないけど…人様は僕の人生「波乱万丈」だとよく言います。波乱万丈大いに結構毛だらけ猫ハイだらけです。 今が楽しけりゃそれでいいってぇことよ。ねぇ旦那!(寅)先日Facebookに投稿した逗子の77歳・石川ひろ子さんに習って…「いつ死んでも悔いないように」この仕事と逗子生活を両方とも楽しんで、皆さんと一緒におもしろおかしく生きていきたいと思います。これからも何とぞ宜しくお願いしますm(_ _)m -
2020.9.3
我が故郷・鹿児島人の教え…「負けるな・嘘をつくな・弱い者を虐めるな」の神髄はこれだと思わない?
望郷の夏…3年ぶりの郷帰り
8月の最終週に僕の故郷・鹿児島に帰りました。
コロナ渦で、県をまたぐ移動を慎むように言われると、なんだか余計に故郷に帰りたくなるのは僕だけでしょうか? 東京近辺から鹿児島へ行くというだけで、どんな事情があろうと鹿児島の人達が警戒するのも致し方ないですね。because…鹿児島で出ている感染者はみんな東京その他都市部からの旅行者及び帰省者からの感染だから。
なので今回は、目的を小さく絞っての帰省となりました。鹿児島市の日之出町という町に、僕の家族が昔暮らしていた🏠があります。この家は、東側に桜島と錦江湾が一望できるという素敵なロケーションが魅力です。毎朝、桜島の横から昇る朝陽で目を覚ます。そんな少年時代をそこで暮らした、いわゆる「実家」です。(写真は🏠の庭から望む桜島)
僕の両親はとっくに亡くなっていて、3人の子供達(姉・兄・僕)は関東で暮らしているので、今そこは「空き家」
になっています。名義は、諸事情あって長女の名義です。景色が良くてとても静かな環境の立地なので、いろんな人から「売って欲しい」と頼まれ続けています。
家は誰か住んでいないと傷むとよく言われますよね。だから人に貸すという手もあるにはあるんですが姉は売りたくないと言うし、僕も賛成です。because いつでも帰れる場所であって欲しいから。以前は年に1~2回程度帰って、掃除したり庭の手入れをしたりしていたんですが、最近は、逗子生活に慣れて、「故郷は遠きにありて想うもの」みたいな感覚になっていました。それなのに、コロナ渦になって人と人が距離をとるようになった今、不思議と「故郷に帰りたい」気持ちが湧いてきて…3年ぶりに鹿児島へ郷帰りしてきたというわけです。
この帰郷というタイミングで…鹿児島に昔から伝わる鹿児島人(薩摩人)の「教え」について記します。どうぞ聞いて(読んでみて)くださいm(_ _)m
鹿児島には昔から伝わる次のような教えがあります。
・負けるな(友達・ライバルに)
・嘘をつくな(人に)
・弱い者(後輩、非力な女性、年寄り、子供、障害者など)を虐めるなと、()内の言葉を付け加えた解釈をしていましたが、歳を重ねるごとに、その解釈は変わってきました。
この教えの神髄は…
・負けるな(誘惑や自分の弱い心に)
・嘘をつくな(自分のやりたいことや本心に)
・弱い者をいじめるな(老いることや、挑戦して失ったり傷ついたりすることを恐れたり蔑んだりするな!)ということではないかと気付いた時、からだの中に本物の薩摩の血がドックン🔥と流れた気がしました。
僕は以前から「アドラー心理学」に興味を持っていて、その考えを自分の生き方に取り入れて実践している「つもり」
でいます🤣 つもりね。アドラー心理学のkeywordは、「自立、他者との共存・他者貢献、目的論、変わる勇気、他人と共存しつつも自分を生きる」みたいな感じです。
薩摩人への教えとアドラーが唱える生き方に深く想いを馳せた4日間の鹿児島旅でした
今日のブログ、最後まで読んでいただいて有難うございますm(_ _)m
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2020.8.20
尊敬する兄貴の話(^_-)-☆
お盆を過ぎて、夏も後半です。皆様には、残暑お見舞い申し上げます(^_-)-☆
先週の木曜日8/13はお盆の入りということもあって、都内に住む僕の兄、姉と一緒に亡き両親の墓参りに行ってきました。その時の写真です。兄は車椅子生活かれこれ40年以上の人生ですが、超逞しいので、今日は僕の兄貴のことについて書いてみます。
兄は以前の僕のブログ(5/7発信)にも書きましたが、高校3年生の時、体操の跳馬で演技途中に空中でバランスを崩して落下…頸椎圧迫骨折の大怪我を患ってしまって、一命はとりとめたものの、その後下半身不随状態の生活を現在まで送っています。
都内・清瀬市に住んでいます。写真に写っている姉が内科・小児科の開業医なのでそこの病院で医療事務を担当して生活しています。姉の病院は日野市にあって、兄の住む清瀬市からは🚙で1時間半ほどかかりますが、今は週に5日出勤しています。彼は怪我をする前は、全国でもトップレベルの体操選手で、僕はその当時、兄を競技者のライバルとして意識していました。
その兄が事故に合った当時は家族みんなが途方に暮れた日々を送っていました。それでも人間は「どんな状況でも立ち上がって前に進もう」とするんですね。
兄は母校の鹿児島実業高校で事務職員として勤務しながら同校体操部のコーチとして後輩の育成にあたって多くの生徒さんを全国大会に出場させて全国インターハイや国体会場でも車椅子の名コーチとして知られる存在でした。
そんな貢献感の強い兄でしたが、彼の中には自身の不完全燃焼的なチャレンジ精神がまだまだたっぷりすぎるぐらいあったとみえて、僕らからすれば突然、鹿児島実業を辞めて、家出して奄美大島に移住してスキューバーダイビングの世界にのめり込んでいったのです。大好きだったんですね。海が。
そして彼はスキューバーダイビング界の、あるチームに所属していて、障碍者にしては無謀とも思えるダイビングインストラクターを目指しました。当時も今もそうなんですが、下半身不随の身障者がDiving instructorの資格を取得すれば「日本初」という凄い挑戦でした。
彼の挑戦はNHKが取材にきて、「障害と共に生きる」という番組で全国放送されました。(写真) その頃の兄はとっても輝いていて素敵でした。大阪からDivingに訪れた16歳年下の女性と結婚して第二の人生を順調にスタート切ったかのようにみえました。 見えました…なので、そうはいかなかったわけなんだけど🤣
水中で下半身を思うように操ることができないというリスク。スポンサーがつくわけでもなかったので、Divingーshop経営面の問題など抱えて彼は夢半ばでこの道を退くことになります。
日本初のDiving instructorとしてのデビュー出来ぬまま…彼は島で経営していたDivingshopを閉じることになります。その後嫁さんとも別れて、島を引き上げて上京しました。
そして東京では、医療事務の資格を取得して、姉が経営している「多摩平内科・小児科」でレセプトを打って、現在に至っていると。まあこういう流れです。
清瀬市の障害者専用マンションで超セレブな愛猫「ベンガル」と一緒に暮らしています。お付き合いしている彼女はいるけど、結婚願望はあるんだかないんだか? それは彼の課題なので僕らはノータッチなの🤣
まあ、こんな感じのエネルギッシュな兄も、もう65歳。ちょっと貫禄つき過ぎなんじゃない? 週5日通う姉の病院で患者さん達と向き合う日々です。 気が付くと…兄弟3人とも結果的に医療・健康関係の仕事に就いていて、世の中の「痛みを抱える人々」を幸せにしようって頑張ってるから、なんだか嬉しいような。
人を笑顔にできる人生って素敵だなと今は思っています。
重光の兄弟三人三様に、自由で自分らしい生き方があります。お互いの生き方を尊重して、且つ自立して「自分らしく生きる」これってもしかしたら今は亡き両親が3人に伝え残した生き方なのかも知れません。
今日はこんな感じで僕の兄について少し紹介しましたが、今度はいつか姉のことも書くかもです。姉もまた半端なく凄い人物ですので。
ということで今日も最後まで読んでいただいて有難うございましたm(__)m
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